大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岡山地方裁判所 昭和50年(行ウ)1号 判決 1987年3月25日

原告 坂本守信

被告 岡山大学長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和四八年五月七日付けでした懲戒処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四三年四月一日以来岡山大学講師の職にあつた者であるが、被告は、原告に対し昭和四八年五月七日付けで懲戒免職処分(以下「本件処分」という。)を行つた。

2  本件処分は、正当な処分理由を欠いたものであるから、実体的に違法である。

3  本件処分は、次のとおり手続的にも違法である。

(一) 大学管理機関である岡山大学評議会(以下「評議会」という。)は、本件処分を審査するに当たり、教育公務員特例法(以下「教特法」という。)九条二項、五条二項に違反し、原告に対し審査の事由を記載した書面(以下「審査説明書」という。)を交付しなかつた。

(二) 被告は、本件処分をするに当たり、教特法九条二項、五条三項に違反し、原告の請求にもかかわらず、原告に対し陳述の機会を与えなかつた。

(三) 被告は、本件処分をするに当たり、国家公務員法(以下「国公法」という。)八九条一項に違反し、原告に対して処分の事由を記載した説明書(以下「処分説明書」という。)を交付しなかつた。

(四) 本件処分は、被告の懲戒免職処分相当との申し出により評議会の審査の結果されたものであるが、被告の右申し出は被告の所属していた岡山大学教養部(以下「教養部」という。)教授会の同旨の具申に基づいてされたものであるところ、原告は、右教養部教授会の懲戒処分相当の決議に際し、陳述の機会を与えられなかつた。これは、憲法上の要請に違反する重大な瑕疵である。すなわち、憲法は大学の自治を保障しているところ、大学の自治は、取りも直さず学部の自治を意味するから、教養部教授会において本件処分について意思決定するに際し原告に陳述の機会を与えることは、憲法上の要請でもある。

ちなみに、一九六六年一〇月五日パリにおける特別政府間会議で採択された「教員の地位に関する勧告」は、その五〇条において、

「全ての教員は全ての懲戒手続の各段階において公正な保護を受けるものとし、かつ、特に左に掲げる権利を享受するものとする。

(a) (略)

(b) (略)

(c) 自己の弁護のために十分な時間を与えられて、自己を弁護し、かつ、自己の選任した代理人によつて弁護を受ける権利

(d) (略)

(e) (略)」

と規定している。

(五) 評議会による本件処分の審査は、次のとおり極めて杜撰なものであり、到底教特法所定の「審査」としての要件をみたしていない。

(1) 原告から評議会宛ての昭和四八年四月一一日付け、同月一七日付け及び同月二六日付けの各文書は、いずれも評議会に届かないで、学部長会によつて握りつぶされた。

(2) 評議会の調査委員会は、教養部教授会の調査委員会作成の事実調査報告書をもとに検討を行つたにとどまり、証人や参考人を喚問して調査したことはない。

(3) 教養部教授会で作成され評議会に提出された「坂本守信講師に関する行動の経過概要等」と題する書面には、原告に有利な点が省略されており、内容の不正確な資料である。

(4) 評議会は、本件処分を行う際に、原告の個々の行為が国公法のどの条項に該当するかを個別に判断することなく、原告の行為が包括的に国公法九八条一項、九九条及び一〇一条一項に違反すると判断したものであるが、このような認定方法は、懲戒免職処分という重大な処分を行うには余りにも乱暴な方法である。

(5) 原告の行為に関する評議会の認定は、証拠によつたものであるか疑わしい。

(6) 処分説明書の処分の理由では、昭和四八年二月二一日及び同月二四日に原告に退室を求めた者が教養部長(実際は、二一日が会計係長、二四、五日が事務長)となつており、事実を誤認している。

4  よつて、原告は、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2は否認する。

3(一)  同3(一)ないし(三)は否認する。

(二)  同3(四)の主張は争う。

確かに、大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められており、この自治は、特に大学の教授その他の教員の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の教員の任免、分限、懲戒については大学の自主的判断に基づいて決すべきであると解されている。ところで、教特法は、大学の教員に対する懲戒に関し、九条一項、五条二項ないし四項、二五条一項三号で特別の規定を置いているが、右のような規定は、学問の自由を保障した憲法二三条の精神に反するものではないと解される。原告は、右の点に関し、右各規定に代えて、又は右各規定に加重して、審査を受ける教員が属する教授会における審議の過程において教員に陳述の機会を与えられない限り、憲法二三条に違反する、と主張するが、大学の教員に対する懲戒を大学管理機関のうちのどの機関に担当させ、又はどのような手続に基づいてこれを行うかは、憲法の前記のような趣旨に反しない限り立法府の裁量に委ねられているところである。したがつて、大学の教員に対する懲戒に関する教特法の前記の各規定が憲法二三条の趣旨に反しないものである以上、この規定に従つた手続を行えば憲法二三条の要請にも十分応えており、これ以上に原告の主張するような手続を履践しないと憲法の要請に応えていないとの非難は当たらない。そして、原告に対する懲戒は、教特法の規定に基づいて行われたものであるから、何ら違法視されるいわれはない。

また、原告は、一九六六年一〇月五日パリにおける特別政府間会議で採択された「教員の地位に関する勧告」を引用して、原告の前記主張があたかも確立された国際法規であるかのように主張するが、右勧告は、二条において、「この勧告は、保育所、幼稚園、初等学校、中間学校又は中等学校(技術教育、職業教育又は美術教育を行う学校を含む。)のいずれを問わず、中等教育段階の修了までの公私の学校の全ての教員に適用する。」とその適用範囲を規定しているのであつて、大学の教員はこの勧告の適用範囲外である。また、右勧告は、あくまでも勧告に過ぎず、条約ではないので、法的拘束力をもつものではない。右勧告は、異なる国情に正当な考慮を払いながらも、努力して到達すべき目標を示すものであり、その実行と立法化に影響を与えようとするものであつて、原告の前記主張が確立された国際法規であることを裏付けるものでは決してない。

(三)  同3(五)は否認する。

三  被告の主張

1  本件処分の正当性

被告が原告に対し本件処分を行つたことについては、次のとおり正当な理由がある。

(一) 原告の非違行為

(1) 昭和四七年度前期成績判定業務に関する教養部長の職務上の問い合わせを無視した行為

(ア) 昭和四七年一〇月一三日、岡山市野田屋町二丁目三番一八号の片山恵子から原告担当の英語の昭和四七年度前期成績票が教養部宛てに郵送されてきた。この成績票に対し、田代教養部長(以下「田代部長」という。)は、その信ぴよう性について疑義を抱き、翌一四日、同月一八日、同月二六日及び同年一一月一三日付けで、四回にわたり、文書をもつて、原告自身が判定したものであるかどうかを原告に問い合わせたところ、原告は各期限内に、いずれも責任ある回答をしなかつた。

なお、右回答期限は次のとおりである。

<1> 同年一〇月一四日付け問い合わせの文書に対しては、同月一七日まで。

<2> 同月一八日付け問い合わせの文書に対しては、同月二一日正午まで。

<3> 同月二六日付け問い合わせの文書に対しては、同年一一月七日まで。

<4> 同月一三日付け問い合わせの文書に対しては、同月一四日午後五時まで。

(イ) 同月一六日、教養部教官会議に際し、会議室に入つてビラを配布していた原告に対し、田代部長から「先に片山恵子名義で送付の成績票は、あなたが判定したものですか。」と質問したが、原告は回答せずに立ち去つた。

(2) 昭和四七年度後期成績判定業務に関して責任ある手続をしなかつた行為

(ア) 原告担当の英語の昭和四七年度後期成績票が未提出(提出期限昭和四八年二月二四日)のため、昭和四八年三月七日、田代部長から原告に対し、文書をもつて、その提出方を求めたところ、同月一二日午後七時五分ごろ、原告は教養部教務係に後期成績票を置いて帰つたが、それには教養部所定の成績判定者署名用伝票が添付されていなかつた。また、翌一三日に、「坂本教官」の<教務>係片山恵子から封書が「岡山大学教養部<一〇三>御中」として郵送されてきたが、その中に成績判定者署名用伝票のうちの「成績判定者署名印」欄を「成績(不)判定者署名印」と書き換えたうえ、原告の署名押印がされたものが封入されていた。これらは、いずれも昭和四七年一二月二六日付け教養部長からの警告書をも無視した行為である。このため、田代部長は、その信ぴよう性について疑義があつたので、昭和四八年三月二八日、原告に対し、さらに文書をもつて、原告の判定であるなら同年四月四日までに改めて責任ある手続をするよう注意したが、原告は何ら確認できる手続をしなかつた。

(イ) 同年四月九日、田代部長の命により、係官が、原告担当の英語の後期成績票に係る成績判定者署名用伝票に所定事項を記載したものを同月一〇日午前一〇時までに提出するよう指示した職務命令書を、原告に手渡そうとしたが、原告は受領を拒否した。やむなく、田代部長自らも、同命令書を原告に手渡そうとしたが、原告が受領を拒否したので、田代部長は、同命令書を口頭で二回読み上げて伝えたが、原告は、これに従わず、結局、昭和四七年度後期成績判定業務に関して責任ある手続をしなかつた。

(3) 教養部教官会議を妨害した行為

(ア) 昭和四七年一二月一三日開催の教養部教官会議の開始前、会議室に入つていた学生ら一〇名を教職員が排除した際、原告は、会議室の出入口扉付近に座り込むなどの行為を行つて、これを妨害し、同会議の開始を約一時間遅らせた。

(イ) 昭和四八年一月一七日開催の教養部教官会議の開始前、原告は、学生ら約一〇名と共に会議室に入室し、田代部長の再三の注意にもかかわらず、記録席に座つたり室内を徘徊したりし、教職員が学生らを排除する際に、昭和四七年一二月二六日付け原告に対する田代部長からの警告書にもかかわらず、出入口扉付近に座り込み、学生らの排除を不可能にして、同会議を流会にさせた。

(ウ) 昭和四八年二月七日開催の教養部教官会議の開始直前、原告は、会議室出入口の錠を外し、会議室に押し入ろうとする学生ら約八名を導入しようとした。また、原告は、右の会議中、田代部長の再三の注意を無視し、かつ、前記警告書を無視して、議長席の脇で大声を発するなどし、再三会議の進行を妨害した。

(4) 教養部の建物への不法侵入及び不退去により昭和四八年度入学試験を妨害した行為

(ア) 教養部一〇三教室は、昭和四八年度入学試験の試験室として使用予定のため、建物管理上の必要から昭和四八年二月九日以降閉鎖されていたところ、原告は、同月一二日から、無断で同教室に入り、これを占拠した。田代部長は、補修箇所調査の必要上、同月二一日、同月二四日及び同月二六日に、口頭で退室を求めたにもかかわらず、原告は、内側から施錠して係官の入室を拒み、退去に応じなかつた。

(イ) 被告及び田代部長は、同月二七日、連名で、入学試験場として使用する必要上補修のため教養部一〇三教室を含む教養部A棟建物及びその周辺への立入りを禁止する旨の掲示を行つた。ところが、原告は、これを無視して、同日、教養部一〇三教室へ無断で入室した。田代部長は、原告に対し退去命令を下し、さらに退去命令書を手渡したが、原告はこれに応じなかつた。

(ウ) 同月二八日、原告は、前記の被告及び田代部長連名による教養部A棟及びその周辺への立入禁止の掲示を無視して、教養部一〇三教室床下配管構内に入り込み、退去するようにとの田代部長の再三の説得、勧告にも応ぜず、引き続き同所に留まり、同年三月二日に退去命令が出されたにもかかわらず、これを無視して、入学試験終了(同月五日)まで退去しなかつた。

(エ) 以上の行為により、原告は、教養部一〇三教室を入学試験室として使用することを不能にさせ、そのため、入学試験の諸準備の変更及びその実施のための全学的特別措置を余儀なくさせたことなどによつて、入学試験を妨害した。

(5) 教養部の建物を破壊し、汚損した行為

(ア) 昭和四八年二月一二日、原告は、教養部一〇三教室の開扉の要求を教養部長に拒否されたため、同日午後一時三〇分ごろ、教職員及び学生多数の面前で、同教室入口扉のガラスをドライバーで叩き割り、錠を外して学生ら約一〇名と共に無断で同教室に侵入した。

(イ) 同月七日から同月一〇日まで、及び同月一二日から同月二六日までの間、原告は、学生らと共に無断で教養部一〇三教室を占拠し、同教室を落書等によつて汚損した。

(6) 教養部の期末試験を妨害した行為

(ア) 昭和四八年二月一三日午後四時ごろ、原告は、野瀬教授の英語試験開始直後、同試験実施中の教養部一〇四教室、同一〇五教室に侵入し、印刷物を配布するとともに、教卓上に生卵を置き、同試験を約一〇分間にわたり妨害した(受験学生一〇四教室一〇九名、一〇五教室五一名)。

(イ) 同月一九日午後二時二〇分ごろ、教養部四〇五教室において、入江助教授の英語試験を実施中(テープによる聴き取りの試験)、原告は、同教室に侵入しようとし、それを制止する入江助教授目掛けて生卵を投げつけ、さらに同教室内に入り、黒板に数回落書をした後、黒板ふきを持ち帰るなどし、同試験を約一〇分間にわたり妨害した(受験学生九五名)。

(7) 教養部の期末試験の監督業務を放棄した行為

原告は、教養部の昭和四七年度後期末試験のうち、昭和四八年二月一二日第三限(午前一一時二〇分から午後零時一〇分まで)の上野教授担当の法学、及び同日第四限(午後零時四〇分から午後一時三〇分まで)の太田教授担当の哲学の各試験について、教養部長からその試験監督を命ぜられていたにもかかわらず、監督業務に従事しなかつた。

なお、原告は、昭和四七年九月以前においても、教養部昭和四五年度後期末試験、昭和四六年度前期末試験、同後期末試験及び昭和四七年度前期末試験について、教養部長から命ぜられていた各試験の監督業務に従事しなかつた。

(8) 教養部教務係掲示物の取りはがし及び無断掲示の行為

原告は、昭和四八年一月三一日ごろ、教養部教務係掲示板に掲示してあつた教養部から学生に対する連絡用の掲示物一六点を無断で取りはがした。

また、原告は、教養部教務係掲示板に無断で再三にわたつて掲示を行つた。

(二) 非違行為に対する法令の適用

原告の前記(1)ないし(8)の各非違行為は、いずれも国公法八二条三号に該当するものである。

そればかりでなく、前記(2)の非違行為は、同法九八条一項、九九条に違反するので、同法八二条一号にも該当するほか、同法八二条二号にも該当する。

また、前記(3)及び(7)の各非違行為は、いずれも同法九八条一項、九九条、一〇一条に違反するので、同法八二条一号に該当するほか同法八二条二号にも該当する。

さらに、前記(4)の非違行為は、同法九八条一項、九九条に違反するので、同法八二条一号にも該当する。

また、前記(5)、(6)、(8)の各非違行為は、いずれも同法九九条に違反するので同法八二条一号にも該当する。

なお、原告は、これより先、授業等拒否の行為により、昭和四五年四月二二日に停職五月の懲戒処分を受け、教育公務員としての自戒と反省を求められていたにもかかわらず、本件のような多数の非違行為を繰り返したものであり、その情状は甚だ悪質なものといわねばならない。

2  本件処分の手続

(一) 被告が原告に対し本件処分を行つた経緯は、次のとおりである。

(1) 教養部教授会は、原告の前記各非違行為に対し懲戒処分を行うべきであるとの決議をし、教養部長から被告に対しその旨の具申がされた。被告は、それを受けて、昭和四八年三月二八日、評議会に原告に対する懲戒処分について審査を求めた。

(2) 評議会は、当時、岡山大学の学長一名、学部長六名、教養部長一名、学部及び教養部ごとに教授の互選によつて選出された教授各二名の計一四名、附属研究所の長二名、附属図書館長、附属病院長、法文学部第二部主事各一名の計三名、以上合計二七名の評議員で構成されていた。評議会は、同日、会議を開き、原告の非違行為等を調査するため、六つの学部及び教養部から各一名ずつ選出された評議員計七名をもつて構成される調査委員会の設置を決めた。

調査委員会は、同日、同月三〇日、同月三一日、同年四月二日、同月三日、同月四日と六回にわたり委員会を開いて、事実の調査や懲戒に関する法条への該当の有無を検討した。

評議会は、同年四月六日に第一回審査評議会を開いて、調査委員会からの調査結果を審査した。さらに、同月九日に教養部長から被告に対し、原告の非違行為が追加して具申されたので、調査委員会は、翌一〇日にそれについて事実の調査や懲戒に関する法条への該当の有無を検討した。

引き続き、評議会は、同日第二回審査評議会を開き、調査委員会からの調査結果を慎重に審査し、原告の非違行為を確認し、懲戒免職に付するのが相当であるとの処分案を決定した。それに基づき、評議会は、審査説明書及び陳述の請求についての通知書を作成して、これを原告に交付することにした。なお、右の二通の書類には、それぞれ、審査説明書を受領した後一四日以内に請求した場合には口頭又は書面で陳述する機会を与える旨の記載がされていた。

(3) 評議会は、評議員である田代部長を交付者、評議員である杉法文学部教授外三名を立会人に指定し、原告宅に赴いて前記文書を交付させることにした。田代部長らは、同月一二日午後四時五〇分ごろ、原告宅に赴き、原告が在宅して奥の部屋に居ることを確認したが、原告が玄関に出てこなかつたので、大声で「岡山大学評議会の指示により、あなたの審査説明書と陳述の請求についての通知書を渡しますので、受け取つてください。」と繰り返し伝えたが、原告は、遂に受け取りに現われなかつた。そこで、「返事がなければ承知したものと認めます。玄関の下駄箱の上に置いて行きますから、御承知下さい。」と伝え、前記二通の書類を封筒に入れて、これを玄関の下駄箱の上に置いて帰つた。

(4) 同日午後六時三〇分ごろ、原告の夫人と称する女性が書類在中と思われる大封筒を持参して教養部事務室に現われ、教養部長に渡して欲しい旨依頼したが、居合わせた宿直員は受け取らなかつた。すると、右女性は、右大封筒を教養部長室のドアから内側に差し込んで帰つていたことが翌日判明した。この大封筒は、当時開封されなかつたが、その中には田代部長が原告宅へ置いて帰つた審査説明書等在中の封筒らしいものと、一枚の紙片に何か記載されているらしいものが入つていることが外観からうかがえた。

そこで、評議会議長である被告は、翌一三日に、伝達者田代部長、立会人杉評議員外三名に指示して、教養部一〇三教室に居合わせた原告に対し「四月一二日に届けた書類をよく検討しないと、法の定めるところによつて、あなたの審査が進められていきます。また、四月一二日午後六時三〇分ごろあなたの奥さんと称する人が教養部長室に置いて行かれた封書はあなたに返します。」と伝えさせた。そして、原告に対して前記大封筒を差し出したが、原告は受け取ろうとしなかつたので、「教養部庶務係にそのまま預つておきます。勤務時間内にいつでも受け取りに来て下さい。」と伝えた。しかし、原告は受け取りに来なかつた。

さらに、評議会議長である被告は、審査の慎重公正を期すため、先に同月一二日交付した審査説明書及び陳述の請求についての通知書の各写しにそれぞれ原本と相違ない旨の認証をした書類を作成し、交付者田代部長、立会人杉評議員に指示して、これを参考までに原告に手渡すことにした。田代部長らは、同月一七日に、教養部一〇三教室に赴き、そこに居合わせた原告に右書類を手渡そうとしたが、原告が受け取らなかつたので、原告の面前の机の上に書類を開いて見える状態にして置いて帰つた。

(5) 評議会は、同月二三日に第三回審査評議会を開き、原告に対する審査説明書及び陳述の請求についての通知書は同月一二日に原告に交付されたことを確認するとともに、それまでに評議会宛てに送られてきていた同月一七日付け及び同月二一日付けの<坂本>教官を>処分<する会(会長片山恵子)構成員坂本守信からの各質問書については、差出人の表示が不確定であるため、回答しないことにした。

また、評議会は、第三回審査評議会において、陳述の請求期限が同月二六日までとなつているが、右期限までに陳述の請求がされなかつたときは、審査の慎重を期するため、同年五月一日まで期限を延長すること、陳述の請求を次のとおり行うよう原告に通知することを予め決めた。

(ア) 陳述の請求を同日(必着)までに行うこと

(イ) 請求者は「岡山大学講師坂本守信」名義で行うこと

(ウ) 請求は大学が指定した用紙により行うこと

(6) 陳述の請求期限である同年四月二六日までに、原告から陳述の請求はされなかつた。ところが、翌二七日になつて、<坂本>教官を>処分<する会(会長片山恵子)構成員坂本守信名義で、「当方、教育公務員特例法第九条に保障されている<陳述の権利>を放棄する意思は毛頭ないことを明らかにしておきます。」という内容の手紙が評議会宛てに郵送されてきた。同日、学部長会が開かれ、右手紙の取扱いを検討した結果、右手紙は、発信名義からみてそれが原告の発信に係るものか、又は手紙の内容からみて陳述の請求の意思表示であるのか、明確でないので、陳述の請求としては認めないことにした。そして、同月二三日の第三回審査評議会で予め決められていたところに従い、陳述の請求を同年五月一日まで認めること、及び陳述の請求の様式を文書にして、請求用紙をも添付して、原告に手渡すことにした。

これにより、交付者田代部長、立会人林岡山大学庶務部人事課長外三名は、被告の指示に基づき、同年四月二八日に、岡山市津島新野「東麻雀店」に赴き、居合わせた原告に対し、「岡山大学評議会の決定事項についての通知書を受け取つて下さい。」と伝え、前記文書を入れた封筒(開封のまま)を原告の面前に置いて引き上げた。

(7) しかし、延長された期限である同年五月一日までに、原告から遂に陳述の請求はされなかつた。

ただ、翌二日午前一〇時三〇分ごろ、田中教養部事務長宛てに、差出人を<坂本>教官を>処分<する会(会長片山恵子)構成員坂本守信とする小包が配達証明付きで郵送されてきた。この小包の中には、さらに小包があり、その表には岡山大学評議会殿「教育公務員特例法第九条に基づく<陳述請求>在中」、裏には(六甲発徳島経由)<坂本>教官を>処分<する会(会長片山恵子)構成員坂本守信と記載されていた。小包の中には、たこ焼、佃煮、刺身等の食料品を入れる「経木で作つた舟」が入つており、その舟の表面に「教育公務員特例法第九条に基づき陳述を請求します。」と記載してあつた。

評議会は、同日第四回審査評議会を開き、前記学部長会の取扱いを了承するとともに、右小包の取扱いを検討した結果、延長された期限を徒過して提出されたものであり、かつ同年四月二八日に原告に通知した前記の請求様式によつていないものであつたので、これを陳述の請求とは認めないことにした。また、評議会は、第四回審査評議会において、原告に対し陳述の請求の機会を再度与えることはしないこと、参考人は今後必要としないことを決め、先に第二回審査評議会において決めた原告を懲戒免職に付するとの処分案を改めて全会一致で決議するとともに、原告に対する審査を終了すること、懲戒処分書の発令日、交付方法等を決定した。

(8) 評議会は、同日、右決議を被告に答申した。この答申を受けて、大学管理機関である被告(教特法一〇条、二五条一項四号参照)は、原告に対する任命権者である被告に対し原告を懲戒免職に付すことを申し出、この申し出に基づいて、被告は、原告に対し懲戒処分の発令をすることにした(同法一〇条、昭和三二年七月二二日文部省訓令「人事に関する権限の委任等に関する規程」参照)。

(9) 被告は、昭和四八年五月七日付けで原告に対し懲戒免職処分を発令することとし、「国家公務員法八二条一号・二号・三号により懲戒処分として免職する。」旨の懲戒処分書及び処分説明書を作成した。

そして、交付者田代部長、立会人杉評議員外四名は、被告の指示に基づき、翌八日、教養部一〇三教室に赴き、居合わせた原告に対し、「坂本さん、懲戒免職の処分書及び処分説明書を交付します。」と二回繰り返し、前記の懲戒処分書及び処分説明書を原告に手渡そうとした。しかし、原告はこれを受け取ることを拒み続けたので、田代部長は、同文書に何が書いてあるかを見える状態にして提示した後、原告のポケツトに入れようとしたところ、原告がこれをつかんで投げ捨てたので、それを拾つて原告のポケツトに入れた。

そして、評議会は、同日第五回審査評議会を開き、懲戒処分書及び処分説明書の交付状況の報告を受け、懲戒処分の効力発生を確認した。

(二) 以上の経緯に照らすと、昭和四八年四月一二日夕刻、田代部長らが原告宅に赴き、玄関の下駄箱の上に審査説明書を置いたとき、評議会は原告に対して審査説明書を交付し、かつ、原告はこれを受領したものといえる。そして、評議会は、右の審査説明書と共に陳述の請求についての通知書をも交付して原告に陳述の請求の方法を教示したのを手始めとして、その後も種々陳述の請求のための便宜を図つており、殊に、陳述の請求についての法定の期間の延長までも認めているところであつて、原告に対し陳述の請求をするに十分な機会を与えているところである。しかるに、原告は、当初指定された審査説明書の受領後一四日以内に陳述の請求をしなかつたばかりでなく、さらに評議会が期間を延長して同年五月一日まで陳述の請求を認めたにもかかわらず、遂にその間にも陳述の請求をしなかつたものである。

四  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1  本件処分の理由について

(一) 原告の非違行為について

(1) 処分理由(1)について

(ア) 片山恵子から原告担当の英語の昭和四七年度前期成績票が教養部宛てに郵送されたことは明らかに争わない。

右成績票は、「坂本教官」の<教務>係から委託されたものであるが、「坂本教官」の<教務>係というのは、原告が昭和四七年六月ごろから大学当局又は学生に対して文書を発送したり掲示したりするのに用いていた名義である。原告が右の名義を用いざるを得なかつたのは、以下の事情による。すなわち、教養部教務係員がその職務中に、履修手続をしに来た学生に対し、原告の授業に関して「坂本先生の授業に出ても力がつきませんよ。もつといい授業があるでしよう。」(昭和四七年四月二四日)又は、「坂本先生は今度は全員不可にすると言つていた。」(同月二五日)などという、事実に基づかない教務係員として有り得べからざる発言をしたので、原告は、これについて教務係長宛てに質問状を送つて回答を求めたが、何ら回答がないため、さらに教養部長にも文書を送つて善処を求めたが、これにも全く回答がなかつた。そこで、原告としては、学生への伝達事項をもはや教養部教務係に託すわけにはいかないと判断し、以後「坂本教官」の<教務>係名義で学生への伝達事項を掲示していつたのである。

田代部長が前記成績票の信ぴよう性に疑義を抱いたとの点は否認する。田代部長は、前記の教務係長宛て質問状、教養部長宛て文書の内容等から、「坂本教官」の<教務>係という名称が原告を表示するものであることを知悉していた。

田代部長が原告に問い合わせたことは認める。田代部長は、原告に対する悪意から、疑義を感じたという名目で不必要な問い合わせを数回にわたつてしていたものである。すなわち、原告は、昭和四四年に大学紛争が収束した後も大学紛争によつて提起された問題と格闘し、真摯な教育実践を行つてきたのであるが、このような原告の存在は、右の問題を回避しようとする大多数の大学教職員の中にあつては異端であつた。田代部長に代表される大学教職員としては、原告の授業や成績評価の方法(一律評価)を咎めたかつたものと推測されるが、大学においては建前としてこれらの事柄は各教官に委ねられているので、表立つてこれを問題とすることはできなかつた。しかるに、田代部長は、本件の成績票が郵送されてくるや、それに原告の氏名が記されていないことを奇貨として、判定の信ぴよう性についての疑義をねつ造したものである。

原告が責任ある回答をしなかつたとの点については否認する。仮に、右問い合わせが正当であつたとしても、原告は次のとおり責任ある回答をした。

<1> 同年一〇月一四日付け問い合わせに対しては、同月一八日に受け取り、同月一九日に回答。

<2> 同月二六日付け問い合わせに対しては、同年一一月六日に回答。

<3> 同月一三日付け問い合わせに対しては、同月一六日に受け取り、同日教養部教官会議で回答の文書を直接交付。

(イ) (1)(イ)の事実のうち、原告がビラを配布していたとの点及び回答せずに立ち去つたとの点は否認し、その余の事実は明らかに争わない。原告は前記(ア)<3>のとおり、同月一三日付け問い合わせに対する教養部長及び教官会議構成員宛ての回答書を田代部長を含む全員に手渡していたものである。

(2) 処分理由(2)について

(ア) (2)(ア)の事実のうち、原告が原告担当の英語の昭和四七年度後期成績票を教養部教務係に持参提出したが、それには成績判定者署名用伝票が添付されていなかつたこと、及び「坂本教官」の<教務>係片山恵子から郵送された封書の中に、右伝票の「成績判定者署名印」欄を「成績(不)判定者署名印」と書き換えたうえ、原告の署名押印がされたものが封入されていたことは認め、その余の点については争う。

成績判定者署名用伝票というのは、昭和四七年後期から新設されたもので、従前の慣例からして、全く不必要なものである。原告は昭和四七年度後期成績票を直接教務係に持参提出したのであるから、原告が判定したことは明瞭この上なく、改めて成績判定者署名用伝票を提出する必要は全くなかつた。

被告は、原告が右伝票を書き換えたことをもつて責任ある手続でない、と主張するが、他にも右伝票の内容を書き換えて正式に受理された教官がいることからして、この点をことさら原告の非違として取り上げるのは、被告の悪意の現れにほかならない。

(イ) (2)(イ)の事実は否認する。

(3) 処分理由(3)について

(3)(ア)ないし(ウ)の事実はいずれも否認する。

(ア)の教官会議においては、むしろ教官会議構成員たる原告が強制的に排除されたことが問題である。また、(イ)の教官会議はその開催に真摯な努力をせず、むしろ流会という既成事実作りを図つた疑いがある。

そもそも、教養部教官会議は、人事権を有していないから、法的な意味での教授会ではない。したがつて、仮に、妨害といい得る行為があつたとしても、原告が法的に非違を問われる性質のものではない。

(4) 処分理由(4)について

(4)の事実はいずれも否認する。

原告は、昭和四七年一一月下旬から、その教育実践と不可分に、一〇三教室を自主ゼミの場として持続的に使用し続けていた。また、原告は、昭和四七年度後期の試験場として使用すべく、その旨教養部長に伝えたうえ、昭和四八年二月一二日から一〇三教室を使用したのであつて、原告には入学試験を妨害する意思など毛頭なかつた。教養部長及び大学当局は、右の事実を知り黙認しながら、入試を口実として、やみくもに権力的に原告らの一〇三教室での自主ゼミを弾圧し、原告を一〇三教室から排除しようとしたのである。

たとえ、一〇三教室が入学試験室として使えなかつたとしても、他に多くの教室があつたのであるから、入学試験の諸準備の変更とか全学的特別措置を余儀なくされたとかいうのは余りに大袈裟に過ぎ、原告の一〇三教室の使用によつて入学試験が妨害されたとみるのは正当でない。

(5) 処分理由(5)について

(5)の事実のうち、原告が一〇三教室を昭和四八年二月七日から同月一〇日まで及び同月一二日から同月二六日まで使用したことは認め、その余の事実は否認する。

右使用の目的は授業及び試験実施を含む教育研究の追求のためであつた。

(6) 処分理由(6)について

(ア) (6)(ア)の事実のうち、被告主張の日時に原告が一〇四及び一〇五教室において印刷物を配布し、教卓上に生卵を置いたことは明らかに争わないが、その余の事実は否認する。

(イ) (6)(イ)の事実のうち、原告が入江助教授目掛けて生卵を投げつけた点及び黒板に落書きした点、試験を妨害したとの点は否認し、その余の事実は明らかに争わない。

前記のとおり、原告が昭和四七年度前期成績の認定をしたにもかかわらず、被告はあくまでこれを認めず、不当にも、昭和四七年一一月一七日、前期の単位認定と後記の履修について特別措置をとる旨公示し、後期の履修については履修届の追加及び変更を認めるとした。原告は前期成績の認定を行い、後期も履修届提出の学生に対しあくまで授業を行い、かつ試験も実施しようとしたのであつて、(ア)及び(イ)は、いずれも原告の試験実施のための行動であり、これを試験妨害とするのは筋違いである。

(7) 処分理由(7)について

(7)の事実は明らかに争わない。

しかし、被告の主張は、主張自体失当である。すなわち、大学教員の職務は、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事すること(学校教育法五八条)であり、他教官の期末試験の監督は、教官相互の申し合わせによる好意的な手伝い、すなわち一種のサービス業務に過ぎず、教官の職務には該当しない。したがつて、教官が他教官の試験の監督に従事するかどうかは、各教官の自由な判断に委ねられた事柄であつて、教養部長が教官に対して命令し得るものではない。なお、他に監督をしていない教官があり、被告はその教官に対して何の処分もしていない。

(8) 処分理由(8)について

(8)の事実のうち、原告が掲示物を無断で取りはがしたとの点は否認し、その余の事実は明らかに争わない。

原告は、無断掲示に関して教務係員から注意を受けたことはおろか、言葉をかけられたこともない。また、検印のない掲示物であつても、教官から学生への伝達事項であれば、通常いくらでも教務係掲示板に貼られているのであつて、原告の場合のみをことさら無断掲示などと決めつけて処分理由とするのは不当である。

(二) 非違行為に対する法令の適用について

(1) 被告は、被告の主張(一)(2)、(3)、(4)及び(7)の各行為が国公法九八条一項に違反する、と主張するが、右規定は、国家公務員の上司の職務命令に対する服従義務を規定したものであるところ、被告の主張する教養部長の右各命令は、国公法上の職務命令に当たらない。けだし、第一に、前記のとおり、教養部教官会議は法的には教授会に当たらないから、教官会議の決定であるからといつても、これに基づいて職務命令を発することはできないというべきであり、第二に、教養部長は、教養部教官にとつて国公法上の上司に当たらないから、教官に対して職務命令を発し得る立場にないというべきである。

(2) 原告が授業等拒否の行為により昭和四五年四月二二日に停職五月の懲戒処分を受けたことは明らかに争わないが、その余の被告の主張は争う。

右処分は、原告の不服申立てにより人事院において審理中であつて、その適否については不明の状態であるから、反省等を議論し得る段階ではない。

2  本件処分の手続について

(一) (一)(1)及び(2)の事実はいずれも知らない。

(二) (一)(3)の事実のうち、原告に対し審査説明書及び陳述の請求についての通知書の交付が行われたとの点は否認し、その余の事実は知らない。

(三) (一)(4)の事実のうち、昭和四八年四月一三日に田代部長らが教養部一〇三教室に居た原告のところに来たこと、及び、同月一七日に田代部長らが一〇三教室に来て、審査説明書等の写しに相違ない旨の認証をした書類を置いて帰つたことは認めるが、その余の事実は知らない。同月一三日には原告が田代部長に対し、「どういう資格で来たのか。資格確認の文書はあるか。」と尋ねると、田代部長は何も言わずに帰つて行つた。そして、同月一七日に来た時には田代部長は、岡山大学長発行の使者であることの証明書を持つていた。

(四) (一)(5)の事実のうち、被告主張の各文書が評議会宛てに送られたことは認め、被告が同月一二日に原告に対し審査説明書を交付したことは否認し、その余の事実は知らない。

(五) (一)(6)の事実のうち、被告主張の手紙が評議会宛てに送られたこと、被告主張の日時に原告が「東麻雀店」に居合わせたことは認めるが、その余の事実は知らない。右手紙は、原告が発送したものである。

(六) (一)(7)の事実のうち、原告が陳述の請求をしなかつたとの点、及び評議会が学部長会の取扱いを了承したとの点は否認し、被告主張の小包が教養部事務長宛てに送られたことは認めるが、その余の事実は知らない。右小包は、原告が発送したものである。

(七) (一)(8)の事実は知らない。

(八) (一)(9)の事実のうち、同年五月八日に田代部長らが一〇三教室に来たことは認めるが、原告が懲戒処分書及び処分説明書を投げ捨てたこと、田代部長がこれを拾つて原告のポケツトに入れたことは否認し、その余は知らない。

田代部長らは、原告に対し何か大声でわめき、襟首をつかんだり、殴つたりして、乱暴の限りを尽くした。

(九) 被告は、昭和四八年四月一二日夕刻、田代部長らが原告宅に赴き、玄関の下駄箱の上に審査説明書を置いた時、評議会は原告に対して審査説明書を交付し、かつ、原告がこれを受領したものといえる、と主張する。しかし、右の事実をもつて、審査説明書の交付及び受領があつたと見ることができないことは、被告自身が同月一七日に再度原告に対して右書面の写しを交付しようとしたことからも明らかである。被告は、同月一二日に審査説明書を交付することができなかつたことを認めたからこそ、再度同月一七日の行動に出たものである。

また、原告は、田代部長が訪れた原告宅には、当時、現実には住んでいなかつた。すなわち、原告は、昭和四七年四月七日から岡山大学南宿舎(二)RB三〇二号室に住んでいたところ、昭和四八年二月一九日から、岡山市鹿田本町七―二三スナツク「じやんきい」を夜間経営するため、同スナツクに住み始め、そこから一〇三教室に通つており、この状態が、同年五月一二日警察に逮捕されるまで続いたのである。

ところで、被告は、陳述請求について、同月二六日という期限を明示したとする一方、その期限を同年五月一日まで延長した、と主張する。この延長された期限は、審査説明書の交付及び受領が同年四月一七日にあつたことを根拠とするもののようである。しかしながら、同月一七日に被告が原告に交付したというのは、被告も主張しているとおり、審査説明書等の原本ではなく写しであつた。教特法が規定しているのは、審査説明書の写しではなく原本の交付である。しかも、被告の主張によれば、右原本は被告が持つていたはずである。したがつて、同月一七日の交付、受領が同法に定める交付、受領に当たらぬことは明らかである。

仮に、同月一二日又は同月一七日に審査説明書の交付があつたとしても、これは教特法に定める交付ではない。というのは、同法は、「審査を行うに当つて」交付すべき旨を規定している。すなわち、審査をするときは、まず被審査者に審査説明書を交付し、一四日以内に請求があれば、陳述の機会を与え、また必要があると認めるときは参考人の出頭を求め、又はその意見を徴したうえで、審査しなければならないのである。それなのに、評議会は、同月一二日に先立つ同月一〇日に既に審査を行い、処分案とはいえ、原告を懲戒免職に付するのが相当との結論に達していたのである。すなわち、評議会は、審査説明書を交付しないで審査するという法律違反を犯したのである。

五  原告の反論(1(一)(7))に対する被告の再反論

原告は、他教員の期末試験の監督は教員相互の申し合わせによる好意的な手伝いに過ぎず、学校教育法五八条所定の教員の職務には該当しない、と主張する。

しかし、学校教育法の大学職員に関する規定は、それらの職員の主たる職務を抽象的に示したものであつて、各職員の職務は、この規定によつてのみ定まるものではなく、他の規定等をも総合して、初めて具体化、明確化されるものである。

そもそも、国立大学は、学校教育法五二条に規定する目的を有する国の機関として設置されたものであり、各国立大学は、その目的を達成するため必要なあらゆる業務を行う任務と権限を有するものである。したがつて、これに所属する職員は、この目的達成のために必要なあらゆる業務を分担して遂行すべきものであり、必要に応じて、学校教育法五八条に規定してある職務以外の職務にも従事すべきものである。ところで、大学における試験は、入学試験であれ、期末試験であれ、大学に負わされた教育目的達成のための重要事項であり、大学又は学部等の教育計画等に従つて厳正的確に行われなければならないものである。そして、試験の実施に当たつては、試験の監督(受験生が多数の場合の監督補助をも含めて)が必要であることはいうまでもない。

本件の期末試験は、教養部の教官会議の議を経て定められた試験実施計画に基づくものであつて、原告が教養部所属の教員の一員として右計画に従つて試験の監督を分担することは当然の職務であり、教養部の長たる教養部長が右計画に基づき原告に対し試験の監督業務を遂行するよう命じ得ることも当然である。しかるに、原告は、右の教養部長の命令を無視して試験の監督業務を放棄したものであるから、これが非違行為に該当することは明らかである。

なお、原告は、他に監督をしていない教員もいる、と主張するが、試験の監督及びその補助は、それらを通じて各教員の負担の均衡を考慮したうえ定められていたものである。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件処分の理由の存否について判断する。

1  原告の非違行為の存否(被告の主張1(一))について

(一)  昭和四七年度前期成績判定業務に関する教養部長の職務上の問い合わせを無視した行為(被告の主張1(一)(1))について

(1) いずれも成立に争いのない乙第一七、第二〇、第二三号証の各一、二、証人田代嘉宏の証言(第二回)及びこれによりいずれも真正に成立したものと認められる乙第一五、第三〇、第三二、第六二号証、いずれも郵便官署作成部分については成立に争いがなくその余の部分については前記田代証言により真正に成立したものと認められる乙第一六、第一九、第二二、第二五号証、及び乙第一四号証の一ないし一六、第一八号証の一、二、第二一号証の一、二、第二四号証、第八〇ないし第一三二号証の各一、二の各存在、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(ア) 昭和四七年一〇月一三日、岡山市野田屋町二―三―一八片山恵子の発信名義の小包で、原告担当クラスの昭和四七年度前期の英語の成績票五八八枚が、「坂本教官」の<教務>係より委託されました< >をお送りします。< >、と記載された書面と共に、教養部宛てに郵送されてきた。なお、右成績票には全て評点が八〇点、評価が優と記載されていた。田代部長は、慎重な取扱いを要する成績票が学外者と思われる片山恵子の手に渡つていることなどから、教養部講師である原告が右成績票を判定したものか、右成績票の信ぴよう性に疑義を抱いた。

(イ) 田代部長は、菅、黒田、岡本、千葉の各教授と善後策を協議のうえ、同月一四日、教養部教務係に命じて、原告に対し、右成績票は原告が判定したものであるか否か同月一七日までに回答されたい旨の文書を書留郵便で発送した。

(ウ) 右の問い合わせに対して期限までに回答がなかつたため、田代部長は、同月一八日、原告に対し教養部長名の内容証明郵便で同月二一日正午までの期限を付して(イ)と同様の問い合わせを行い、右郵便は、同月一九日に原告に配達された。

(エ) 同月二〇日、「キヨウヨウブキヨウムガカリ」宛てに、「坂本教官」の<教務>係発信名義による同月一九日付け文書が郵送され、同文書には同月一四日付けの問い合わせを同月一八日に入手したこと、問い合わせの件についての「坂本教官」の意向は同年四月二九日付けの教養部教務係長宛ての公開質問状に対する回答があつてから回答するとのことであることが記載されていた。

(オ) 同月二五日に開催された教養部教官会議(以下「教官会議」という。)において、同日の時点では前記成績票を履修者の成績票として認めることができないので、再度教養部長名で原告に問い合わせるべきことが決定され、引き続き開かれた教養部教授会において、英語科教官が原告と直接話し合うべきことが決定された(なお、教養部教官会議と教養部教授会との異同については、後記(三)(2)参照)。

(カ) 右教官会議の決定に基づいて、田代部長は、同月二六日、原告に対し教養部長名の内容証明郵便で、同月一八日付け問い合わせに対する回答又は成績判定結果を同年一一月七日までに送付するよう催告する旨の文書を発送し、右郵便は、同月二七日に原告に配達された。

(キ) 同年一〇月二五日から同年一一月一日までの間、教養部英語科の各教員が原告方を訪れて、原告との話し合いを試みたが、植杉教授のみが原告と面会し得たにとどまり、しかも、同教授に対しても原告は殆ど黙秘の態度に終止し、話し合いをするには至らなかつた。

(ク) 同月七日、田代嘉宏宛てに同月六日付けで「坂本教官」の<教務>係発信名義による文書が郵送され、同文書には、同年一〇月二六日付けの「坂本教官」宛ての文書を見たこと、「坂本教官」の意向は同月一九日付けの「キヨウヨウブキヨウムガカリ」宛て文書で回答したとおりであること、成績結果は提出期限の同月一二日に必着するように成績票を送付済みであることが記載されていた。

(ケ) 同月八日に開催された教官会議において、<1>昭和四七年度前期の原告担当の英語クラスの成績について、同日までに原告からの成績判定結果の報告も、教養部長の前記(ウ)及び(カ)の問い合わせに対する回答もないので、正規の成績判定結果があつたとは認め難く、右成績判定について特別の措置をとらざるを得ないこと、<2>右決定を教養部長名で原告に伝えるとともに、原告から成績判定に関する回答を得るため、同月一二日以後の可及的に早い日時を指定して、教養部長が単独又は評議員立会いのうえで原告と面談する機会を持つことを伝えること、<3>右指定日時までに原告から教養部長との面談又は文書により成績判定結果の報告若しくは前記<1>の問い合わせに対する回答がない場合には、原告が前記授業の成績判定の権利を放棄したものとみなすこと、が決定された。

(コ) 同月一三日、田中教養部事務長(以下「田中事務長」という。)が原告に会い、教養部長が面談したいと言つているので、部長室に来られたい旨伝えたが、原告は、「会う気はないのだが」と答えた。また、同日、田代部長が田中事務長に「本日の午後三時に教養部長が部長室で面談したい」と記載した書面を言付けて、原告に交付しようとしたが、原告は、その受領を拒んだ。このため、田代部長は、原告に対し同日、前記(ケ)<2>の日時を同月一四日午後五時と指定したうえ、前記(ケ)の決定事項等を記載した文書を内容証明郵便で発送し、右郵便は、同月一六日に原告に配達された。

(サ) 同月一六日開催予定の教官会議の開始前に会議室で原告がビラを配布しており、「坂本教官」の<教務>係名の右ビラには、同月一四日付けの「坂本教官」宛ての手紙に対する「坂本教官」の意向は、この二、三日家を不在にしていたため右手紙を本日(同月一六日)受け取つたので<1>ないし<3>については全て事実上不可能であり、また、成績判定結果については、同年一〇月一二日に必着するように送付済みであつて、成績判定権は既に行使している、とのことである旨が記載されていた。その際、原告に対して、田代部長が、「先日、片山恵子名義で送られてきた履修成績票はあなたが判定したものですか。」と二度尋ねたが、原告は、これに答えることなく、ビラを配り終えると会議室から退室した。右教官会議において、原告が担当クラスの成績判定を放棄したものと認めること及びこれに伴う原告担当の英語のクラスの学生のために特別措置をとることが決定された。

(シ) 同月二〇日から昭和四八年一月四日までの間、「坂本教官」の<教務>係の発信名義で教養部長宛てに五四通の文書が郵送され、これらには全て「一〇月一二日に教養部に送付された昭和四七年度前期坂本教官担当の英語クラスの<成績票>は<私>が判定したものであります。一九七二年一一月一四日一七時坂本守信教官」との記載及び「坂本」の押印があつたが、消印は岡山のほか、徳島、別府、大阪、蒲田があり、筆跡も多数人のものが混じつていた。

(2) 右認定の事実に照らせば、被告の主張1(一)(1)の事実をいずれも認めることができる。

すなわち、前記(ア)のとおり、本来学外者の手に渡るはずのない成績票が学外者と思われる片山恵子の手に渡つていたうえ、成績票に意味不明の文書が添付されていたのであるから、田代部長が右成績票の作成の信ぴよう性に疑義を抱いたのは、誠に無理からぬことというべきである。原告は、田代部長が「坂本教官」の<教務>係という名称が原告を表示するものであることを知悉していた、と主張するところ、前記田代証言によれば、田代部長は、右名称が原告又はその同調者を指すものと推測したことが認められるが、そうであるからといつて、前記の添付文書が意味不明であることに変わりはないから、成績票の作成の信ぴよう性についての疑義が解消することにはならない。また、そもそも、右のような名称を用い前記のような方法で成績票を郵送すること自体、大学教員が成績判定に当たつてとるべき責任ある態度とは到底解し得ないのであつて、田代部長がその後原告に問い合わせを行つたのは、適切かつ妥当な措置というべきである。

なお、原告は、田代部長が原告の一律評価という判定方法をとがめたいがために、あえて不要な問い合わせを行つた、とも主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

次に、原告は、原告が教養部長からの問い合わせに対しては、三回にわたつて責任ある回答をした、と主張する。しかしながら、原告が回答をした、と主張するのは、前記(エ)、(ク)、(サ)の各文書を指すものと推認されるところ、右各文書は、いずれも「坂本教官」の<教務>係名義によるものであつて、右名義が大学教員たる原告を表示する名称と認め難いことは前認定の事実(特に、前記(シ)の事実)に照らして明らかである。のみならず、前記(エ)及び(サ)の各文書は、いずれも所定の回答期限を徒過して送付されたものであることが明らかである。確かに、前記(イ)の教養部教務係名の文書が回答期限の同年一〇月一七日までに原告に配達されたことを認めるに足りる証拠はなく、また、前記(コ)の教養部長名の文書が同年一一月一六日に原告に配達されたことは、前認定のとおりである。しかしながら、前記田代証言及び乙第六二号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一五号証によれば、前記(イ)の文書の回答期限に関して、原告は、同年一〇月一一日ごろから同月一五日ごろまでの間、教養部長が公務出張と認めなかつたにもかかわらず、人事院公平審理調書閲覧及び資料収集のためと称して、独断で東京方面へ旅行をしたこと、また、前記(コ)の文書の回答期限に関しては、前記(コ)の事実があるほか、原告の義父が死去したため原告からの特別休暇願が許可されていたが、その期間は同年一一月七日から同月一一日までの間であつたことが認められるのであつて、いずれの回答期限についても、原告が期限内に責任ある回答をしなかつたことにつき、正当な理由があるとはいえない。

右の二回の文書の件をさて措くとしても、原告は、前記(ウ)及び(カ)の文書による問い合わせに対して責任ある回答をしておらず、また、前記(サ)のとおり、田代部長からの口頭による問い合わせに対しても、何ら回答することなく立ち去つているのである。

以上を要するに、原告は、昭和四七年度前期成績判定業務に関する教養部長の職務上の問い合わせを無視したものといわざるを得ない。

(二)  昭和四七年度後期成績判定業務に関して責任ある手続をしなかつた行為(被告の主要1(一)(2))について

(1) 前記乙第六二号証、いずれも成立に争いのない乙第三五、第三七、第四一号証の各一、二、前記田代証言及びこれにより真正に成立したものと認められる乙第三四、第四〇、第四二号証、及び乙第三八号証の一ないし一〇、第三九号証の一ないし八の各存在、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(ア) 昭和四七年一二月二五日に開催された学部長会議において、原告の前記(一)の行為及び同月一三日開催の教官会議を妨害した行為(後記(三)(1)(ア)参照)について注意するとともに、同年度後期においては責任ある成績判定結果を報告するよう、また、右妨害を繰り返さぬよう警告する文書を教養部長名で発することが決定され、同月二六日、田代部長は、右決定に基づいて原告宛てに警告文書を郵送した。

(イ) 昭和四七年度後期成績票の提出期限が昭和四八年二月二四日であつたにもかかわらず、原告担当の英語の成績票が未提出であつたため、同年三月七日開催の教官会議において、取扱いを協議した結果、提出期限を同月一二日とする督促状を発送することが決定された。この決定に基づいて、田代部長は、同日、教養部長名の内容証明郵便で原告宛てに督促状を発送し、右郵便は、同月八日に原告に配達された。

(ウ) 同月一二日午後七時五分ごろ、原告が、教養部教務係の部屋に現れ、係官に封筒を手渡して立ち去つた。右封筒には、原告担当の英語クラスの成績票一六八枚と「坂本教官」の<教務>係片山恵子名義の書面一通が同封されていたが、右成績票には教養部所定の成績判定者署名用伝票が添付されていなかつた。

(エ) 同月一三日、「坂本教官」の<教務>係片山恵子の発信名義で教養部<一〇三>を宛先とする封書が郵送されてきたが、それには、成績判定者署名用伝票の「成績判定者署名印」欄を「成績(不)判定者署名」欄と書き換えたうえ、原告の署名押印がされたもの六枚が同封されていた。

(オ) 田代部長は、右成績票が原告の判定によるものであるか否かについて疑義をもち、同月二七日に開催された教官会議の決定を経たうえ、原告に対し同月二八日、教養部長名の内容証明郵便で、同年四月四日までに勤務時間内に教養部教務係に出向いて成績判定者署名用伝票に年月日を記載し署名押印するよう求めた文書を発送し、右郵便は、同年三月二九日に原告に配達された。

(カ) 同年四月四日午後四時五〇分ごろ、原告が学生らを伴つて教養部教務係の部屋に現れ、係官から成績判定者署名用伝票六枚の文付を受け、これに記入したが、係官に提出することなく、そのまま立ち去つた。

(キ) 同月九日、田代部長の命を受けて、係官が、成績判定者署名用伝票に署名押印し年月日を記入したものを同月一〇日午前一〇時までに教養部教務係に提出すべきことを記載した文書を原告に手渡そうとしたが、原告は、受領を拒否した。このため、同日、田代部長が右文書を原告に手渡そうとしたが、原告がこれをも拒否して逃げ回つたので、同部長は、やむなく係官に命じて、原告の面前で右文書を二回読み上げさせて、右の趣旨を原告に伝えた。

(ク) 同月一〇日午前一〇時までに原告から右伝票の提出がなかつたため、同月一一日に開催された教官会議において、昭和四七年度後期の原告担当の英語クラスの成績判定がなかつたものと認めることが決定された。

(2) 右認定の事実に照らせば、被告の主張1(一)(2)の事実をいずれも認めることができる。

原告は、成績判定者署名用伝票は不必要なものであり、右伝票を添付しなくても、原告が成績票を直接教務係に提出した以上、原告がこれを判定したものであることは明瞭である、と主張する。前記田代証言によれば、成績判定者署名用伝票は、前記(一)で認定した昭和四七年度前期の原告担当のクラスの成績判定をめぐる件の経緯に鑑みて、成績判定についての責任の所在を明確にするため、教官会議の議を経て、同年度後期から設けられたものであることが認められるのであつて、成績票に右伝票を添付すべきものとすることには合理的な理由が存するというべきである。しかも、大学の各学部及びこれに準ずる教養部は、大学自治の一環として、教授会において成績判定の方法等の内部的事項について自律的に決定する権限を有するものと解されるから、右のような合理的理由に基づいて教官会議において決定された事項である以上、教員としてこれに従うべきことは当然であり、原告の独自の判断で右伝票の添付を不必要なものとしてこれを添付しないことは、許されないものといわねばならない。また、前記成績票を原告が直接持参したものであるとはいつても、前記(ウ)のとおり、右成績票には「坂本教官」の<教務>係片山恵子名義の書面一通が添付されていたのであり、右名義が大学教員たる原告を表示する名称と認め難いことは、前記(一)(2)のとおりであるから、右成績票を原告が判定したことが明瞭であるともいい得ない。

また、原告は、他にも右伝票の内容を書き換えて受理された教官がいる、と主張するが、そのような事実があつたとしても、原告が成績判定に際して責任ある手続をとらなかつたことに何ら消長を来すものではない。

以上を要するに、原告は、昭和四七年度後期成績判定業務に関して責任ある手続をしなかつたものといわざるを得ず、これが前記(1)(ア)の教養部長の警告を無視したものであることは明らかである。

(三)  教養部教官会議を妨害した行為(被告の主張1(一)(3))について

(1) 前記乙第三四、第六二号証、前記田代証言及びこれにより真正に成立したものと認められる乙第七八号証、証人田中正の証言、甲第一一号証、乙第六〇号証の一の各存在並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証人小松富美代の証言は信用できない。

(ア) 昭和四七年一二月一三日午後一時三〇分から教官会議を開催予定の教養部大会議室に原告及びこれに同調する学生、元学生約一〇名がたむろしており、会議に出席の教職員に対し、口々に「今日の教官会議は片山恵子が主宰する。」「私は片山恵子です。」「坂本教官の成績票をなぜ認めない。」などと繰り返し叫び、数箇所に座り込むなどし、田代部長の命令により教職員が排除しようとするのに抵抗して退室しなかつた。その際、原告は、右室内の入口付近を徘徊し、さらに、入口のドアの所に立ちはだかつたり、足を投げ出して座り込むなどして、教職員が学生を排除するのを妨害した。これらの妨害により、右会議は、予定より約一時間遅れて開会した。

(イ) 昭和四八年一月一七日午後一時一五分ごろ、教官会議を開催予定の右会議室に原告及びこれに同調する学生ら約一〇名が入室し、「公開質問状」と題する書面外一点の印刷物を配布する一方、口々に「公開質問状に答えよ。」「学生がおつてなぜ悪い。」などと繰り返し叫び、数箇所に座り込むなどし、田代部長の命令により教職員が排除しようとするのに強力に抵抗して退室しなかつた。その際、原告は、田代部長の再三の注意を無視して、事務官が座るべき記録席に座つたり、室内を徘徊したりしたほか、入口のドア付近に足を投げ出して座り込むなどして、教職員が学生らを排除するのを阻止した。このため、田代部長は、学生らを排除することを断念し、同日午後二時二五分ごろ、右会議を流会とする旨宣言した。

(ウ) 同年二月七日午後一時三〇分から教官会議が開催される予定であつたが、原告らによる妨害が予想されたため、田代部長の要請により午後一時ごろに教職員が参集し、大会議室入口のドアに施錠して警戒に当たつていたところ、午後一時一五分ごろ、原告と学生ら約八名が現れ、会議室に入室しようとしたため、教職員は、学生らの入室を阻止した。原告は、午後一時二〇分ごろ、会議室に入室し、ビラを配布していたが、会議室入口の錠を外して学生らを入室させようとしたため、係官に制止された。午後一時三〇分ごろ、田代部長が開会を宣言したところ、原告は、議長席に歩み寄り、「教官会議の最低条件もみたされていない。」などと叫び、会議の進行を妨害した。このため、田代部長は、教官として出席するのであれば教官席に着席するよう、教官席に着席しないのであれば退去するよう、再三原告に注意したが、原告がこれを無視して叫び続けたため、教職員に命じて非常口から原告を排除した。その後、原告は、会議の進行中、室外から会議室のドアのノブを回すなどしていた。午後二時五〇分ごろ、入室をはばまれていた学生ら九名が、非常口のドアのノブをコンクリート塊で破壊して会議室に乱入し、原告を導き入れるとともに、口々に「教官会議を宇宙空間に解放した。」などと叫んで退去しないため、会議の続行が不可能となり、午後二時五五分、田代部長は会議の閉会を宣言した。

(2) 右認定の事実に照らせば、被告の主張1(一)(3)の事実をいずれも認めることができ、原告が三回にわたつて教官会議を妨害したことは明らかである。

原告は、教官会議が法的な意味での教授会に当たらないから、これを妨害することがあつても、懲戒の対象とならない、と主張する。しかしながら、学校教育法五九条一項は「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」、同条二項は「教授会の組織には、助教授その他の職員を加えることができる。」として、大枠を規定するにとどまり、その構成員等の具体的事項については、大学の自治の問題として各大学、各学部の自律的決定に委ねていると解されるところ、前記田代証言及び田中証言によれば、岡山大学教養部においては、教員の人事に関する事項は教授のみによつて構成される教授会において審議し、それ以外の事項は助教授、講師及び助手を加えた教授会において審議することが申し合わせ事項として決定されており、慣行上、前者の教授会を教授会と称し、後者の教授会を前者と区別する意味で教官会議と称していることが認められる。そうすると、教官会議の法的性質が教授会であることは明らかであつて、原告の主張は、ひつきよう独自の見解といわざるを得ない。また、そもそも、教官会議の法的性質が何であれ、これが教養部の公式行事であることは明らかであるから、これに対する妨害行為が懲戒の対象となることに何ら疑問をはさむ余地はなく、原告の右主張は、主張自体失当というべきである。

(四)  教養部の建物への不法侵入及び不退去により昭和四八年度入学試験を妨害した行為(被告の主張1(一)(4))について

(1) 前記乙第六二号証、前記田代証言及び田中証言、右各証言により真正に成立したものと認められる乙第四三号証の一ないし三、第四五及び第四六号証の各一、二、右各証言により昭和四八年二月二八日教養部一〇三教室床下配管溝内に入つている原告を撮影した写真であると認められる乙第四四号証、右田中証言により同月一二日右教室を撮影した写真であると認められる乙第五二号証の一四ないし一九並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証人小松富美代及び同鈴木そのの各証言は、いずれも信用することができない。

(ア) 岡山大学においては、教養部一〇三教室を昭和四八年度入学試験の試験室として使用する予定を立てていたが、昭和四八年一月以降連日のように原告及びこれに同調する学生らが右教室に入り浸り、教室内に落書をするなどして汚損したため、教養部は、同年二月九日以降右教室を補修等の工事のため閉鎖する措置をとつた。

(イ) しかるに、同月一二日、原告が、田代部長に右教室で試験を実施するとして右教室の開扉を要求したのに対して、同部長が、原告から昭和四七年度後期の期末試験の実施計画が提出されていないことなどを理由にこれを拒否したところ、原告は、学生らの衆人環視の前で右教室の入口の錠を破壊したうえ、右教室に無断で侵入し、以後連日、数名の学生らと共に右教室を占拠した。

(ウ) 田代部長は、右教室の補修箇所を調査する必要上、同月二一日及び二四日には係官を派遣し、同月二六日には自ら右教室に赴いて、口頭で原告らに退去を求めたが、原告らは、右教室を内側から施錠したうえ、「今、試験を実施している。」などと言つて退去に応じなかつた。

(エ) 同月二六日、入学試験が迫つたため、被告及び田代部長は、学部長会議の了承を得たうえ、同月二七日から同年三月二日まで右教室を含む教養部A棟及びその周辺を工事関係者以外立入禁止とし、かつ、右教室に立ち入つた者に対しては随時退去命令を発することとし、同日午後八時三〇分ごろ、原告らが右教室から退去するのを見届けてから、A棟に通じる各出入口及びシヤツターの計一〇箇所に連名による立入禁止の文書を掲示した。

(オ) 同月二七日午前九時ごろ、右教室の補修工事をするため、係官が業者を伴つて右教室に赴いたところ、原告が入室していた。このため、田代部長は、直ちに右連名による退去命令を下し、原告に対して読み上げるとともに、書面を手渡したが、原告がこれに応じなかつたため、田中事務長と二人がかりで原告を室外に連れ出した。

(カ) 同月二八日午後三時ごろ、係官が、原告が右教室の床下配管溝内に食糧、水、寝袋等を持ち込んで入り込んでいることを発見した。このため、田代部長をはじめ教職員が入れ代わり立ち代わり、再三にわたつて原告に退去するよう説得したが、原告は、「現在、試験を実施中である。」「一〇三教室のロツクアウトを解かない限り、ここを出る訳には行かない。」などと言つて、説得を聴き入れず、同所に居座り続けた。同年三月二日には、二度にわたつて、被告と田代部長が連名による退去命令を発し、田代部長がこれを読み上げたが、原告は、これを無視して同所に留まり、入学試験終了後の同月五日午後四時三〇分ごろようやく同所から退去した。

(キ) 同月二日午後六時、原告の右行為により右教室を入学試験の試験室として使用することが事実上不可能となつたため、岡山大学は、入試管理委員会を開いて、右教室の使用を断念するとともに、急拠試験室を変更することを決定し、同月三日、教養部は、緊急の教官会議を開いて、試験室変更に伴う監督官の増員等の措置を決定した。

(2) 右認定の事実に照らせば、原告が一〇三教室への無断侵入及び床下配管溝内への無断侵入、不退去によつて、昭和四八年度入学試験の実施を妨害したことは明らかであり、原告は、自己の行為が入学試験の妨害となり得ることを認識していたものと優に認めることができる。したがつて、入学試験に妨害が生じなかつたとか、入学試験を妨害する意図がなかつた、といつた原告の主張は、全て採用することができない。

(五)  教養部の建物を破壊し、汚損した行為(被告の主張1(一)(5))について

(1) 前記乙第六二号証、前記田中証言及びいずれもこれにより昭和四八年二月一二日に教養部一〇三教室を撮影した写真であると認められる乙第五二号証の一ないし五、同月二七日に右教室を撮影した写真であると認められる乙第五二号証の六ないし一三、前記田代証言、前記(四)(1)(ア)、(イ)の各事実並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告の主張1(一)(5)の各事実を認めることができる。

なお、右教室の落書が全て原告によるものと認めることはできないが、右各証拠及び弁論の全趣旨によれば、右落書のかなりの部分は原告によるものと認められるうえ、原告は、右教室に同調する学生らを集め、「<単位>奪還交流連絡会」などと称して集会を主宰していたことが認められるから、右落書の中に原告以外の者によるものがあるとしても、原告の働きかけないし黙認によつて行われたものと推認することができるのであつて、右落書の全てを原告の非違行為として懲戒の対象とすることができるというべきである。

(2) 原告は、右教室を教育研究追求の目的で使用した、と主張するが、原告の使用目的が何であれ、原告の前記破壊、汚損行為が非違行為として懲戒の対象となることに何ら消長を来すものではないから、原告の右主張は、採用することができない。

(六)  教養部の期末試験を妨害した行為(被告の主張1(一)(6))について

(1)(ア) 昭和四八年二月一三日午後四時ごろ、原告が野瀬教授担当の英語の期末試験を実施中の教養部一〇四及び一〇五教室に入室し、印刷物を配布するとともに教卓上に生卵を置いたことは、原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

さらに、証人板野一男の証言によれば、一〇五教室において原告が印刷物を配布し始めたとき、その場に居合わせた野瀬教授が、再三にわたつて原告にやめるよう言つたにもかかわらず、原告は、これに従わず、しばらくしてから室外に退出したことが認められる。

右の事実に照らせば、原告の右行為が、学生の心理に影響を与えるものであつて、試験の妨害に当たることは明らかである。

(イ) 同月一九日午後二時ごろ、原告が入江助教授担当の英語の期末試験を実施中の教養部四〇五教室に入室し、黒板ふきを持ち帰つたことは、原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

証人入江啓太郎の証言によれば、入江助教授が右日時に右教室で録音テープを再生して英語の聴き取り試験を実施していたところ、原告が入室して来て、黒板に物を書き始め、入江助教授がこれを消しては原告がまた書くということを繰り返した末、原告が黒板ふきを持つて退室したこと、この間、入江助教授は、テープの再生を中断せざるを得なかつたこと、その後数分してから、同人が右教室後方のドアを開けたところ、室外にいた原告がドアめがけて猛然と走り寄るとともに入江助教授めがけて生卵を投げつけたこと、その際同人が咄嗟にドアを閉めたため、右生卵はドアの外側に当たつて壊れたことが認められる。

以上の事実に照らせば、原告の右各行為が、学生の心理に影響を与えるものであつて、試験の妨害に当たることは明らかである。

(2) 原告は、右の各行為がいずれも原告の試験実施のための行動であつた、と主張するが、このことを認めるに足りる証拠はなく、また、原告の意図がいかなるものであつたにせよ、右の各行為が期末試験を妨害したことに何ら消長を来すものではないというべきであるから、原告の右主張は、いずれにしても採用することができない。

(七)  教養部の期末試験の監督業務を放棄した行為(被告の主張1(一)(7))について

(1) 被告の主張1(一)(7)の各事実は、原告において明らかに争わないで、これを自白したものとみなす。

(2) 原告は、他の教員の期末試験の監督が教員相互の申し合わせによる好意的手伝いに過ぎず、教員の職務には該当しないから、それに従事するか否かは各教員の自由な判断に委ねられており、教養部長が教員に対して命令し得る事柄ではない、と主張する。

確かに、原告の援用する学校教育法五八条は、五項において「教授は、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。」と規定し、六項において「助教授は、教授の職務を助ける。」、八項において「講師は、教授又は助教授に準ずる職務に従事する。」とそれぞれ規定していることからも明らかなように、教育及び研究が大学の教員の従事すべき主要な職務であることは、疑う余地のないところである。しかし、右規定は、大学の教員の従事すべき職務を大綱として示したものに過ぎず、教育及び研究に付随して生ずる職務に教員が従事することを何ら妨げるものではなく、そのような職務に従事すべきものとしたからといつて、個々の教員の有する研究、教育の自由を侵害するものではないと解すべきである。また、大学の教育及び研究に付随して発生する右以外の個別具体的事項については、各大学及び各学部等が、大学の自治の一環として、必要に応じて自律的に決定し得る権限を有するものと解するのが相当である。

この観点からすると、期末試験の監督は、大学が学生の教育という本来の目的を遂行するうえで必然的に派生する職務というべきであるから、各大学及び学部は、担当教員以外の教員に対しても、必要に応じて右監督に従事すべきことを決定し得るものと解すべきである。そして、前記田代証言によれば、岡山大学においては、教養部の期末試験について全学的な支援態勢が確立しており、教養部連絡運営委員会において、教養部から他学部に派遣を依頼する監督官の人数を決定するとともに、教養部教官会議において、教養部内の教員の事務の繁閑等を考慮したうえ、各教員に対する試験監督の割り当て等を決定していたことが認められる。そして、岡山大学教養部においては、教授会たる性質を有する教官会議によつて各教員の試験監督の割り当てが決定された以上、その事務は当該教員にとつて職務となり、教官会議の執行機関である教養部長は、当該教員に対して上司として右事務に従事するよう職務命令を発し得る(後記2(二)参照)ものと解するのが相当である。

よつて、原告の右主張は、採用することができない。

(八)  教養部教務係掲示物の取りはがし及び無断掲示の行為(被告の主張1(一)(3))について

(1) 原告が教養部教務係掲示板に再三にわたり無断で掲示を行つたことは、原告が明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

前記乙第六二号証、前記田中証言、証人三好正の証言、乙第六〇号証の一、第六一号証の一ないし一六の各存在及び弁論の全趣旨を総合すれば、昭和四八年一月三一日、教養部教務係掲示板に、「現在この掲示板に貼られている紙片は、この紙片を除き>一〇三<に保管する。」旨記載された「坂本教官」の<教務>係名義のビラが貼られ、当時右掲示板に貼られていた学生に対する掲示物一六点が全部はぎ取られていたこと、係官が教養部一〇三教室に赴いたところ、右教室に原告がおり、右掲示板からはぎ取られた掲示物が全て机の上に一枚ずつ並べて置かれていたこと、右掲示物には全て赤マジツクで>一〇三<などと落書がされていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。これによれば、原告が、同日、右掲示板から右掲示物を無断で取りはがしたものと推認することができる。

(2) 原告は、検印のない掲示物であつても、教員から学生への伝達事項であれば、通常いくらでも教務係掲示板に貼られていた、と主張する。確かに、前記三好証言によれば、岡山大学工学部においては、教員から学生に対する通知が検印なしで教務係の掲示板に貼ることができるという取扱いが事実上行われていたことが認められるが、同証言及び前記田中証言によれば、岡山大学においては学部共通細則により、掲示物は原則として一週間を限度とすること、このため掲示物には全て検印を押すべきことが定められていること、教養部教務係においては、右細則に則り、教員からの伝達事項であつても検印を要するという取扱いが行われてきたことが認められる。してみると、たとえ他の学部において検印のない掲示物が事実上許容される取扱いが行われていたとしても、教養部において、無断で教務係掲示板に掲示をすることを右細則に違反するものとして、懲戒の対象とすることをもつて直ちに不当ということはできない。

よつて、原告の右主張は、採用することができない。

2  非違行為に対する法令の適用(被告の主張1(二))について

(一)  原告の前記1(一)ないし(八)の各行為は、いずれも国立大学の教員としてふさわしくない非行というべきであるから、国公法八二条三号所定の懲戒事由に当たるとみることができる。

(二)  次に、原告の前記1(二)の行為は、前記1(二)(ア)の教養部長による警告に違反したものであるが、右警告には教員である原告に対し昭和四七年度後期の成績判定について責任ある手続をすべきことを命ずる職務上の命令が含まれていると解されるから、右行為は、国公法九八条一項所定の上司の職務上の命令に従わないものであるとともに、敢えて右警告に違反した点において同法九九条所定の信用失墜行為にも当たるので、同法八二条一号に当たるというべきである。また、右行為は、成績判定者署名用伝票に記入し署名押印すべき職務を怠つたものであるから、同法八二条二号にも当たるというべきである。

原告は、教養部長が教養部の教員にとつて国公法上の上司に当たらないから、教員に対して職務命令を発し得る立場にない、と主張する。この点についての法令の定めを概観するに、一般に、教養部長は、教養部を置く国立大学に置かれ、その大学の教授をもつて充てるとされており(国立学校設置法三条二項、同法施行規則五条二項)、教養部長は、教特法上、部局長とされ(同法二条三項、同法施行令一条一号)、その採用、転任、降任、免職及び懲戒等は、一般の教員と異る手続によるものとされている(同法二五条一項)のであつて、法が教養部長に教養部の長として他の教員と区別された地位を与えていることは明らかである。確かに、法は、教養部長を含む部局長の権限及び職務内容について、それ以上の規定を設けていないが、これは、いうまでもなく、大学の自治に属する事柄として、各大学における自律的規整に委ねる趣旨であると解される。そして、前記田代証言、田中証言及び弁論の全趣旨によれば、岡山大学においては、教養部における基本的事項に関しては全学的組織である教養部連絡委員会において決定するほか、教養部内の問題に関しては前記二1(三)(2)の区分に従つて教授会又は教官会議において決定するものとされ、教養部長が右の各決定を執行する機関とされていることが認められる。他方、国立大学の教員には研究及び教育の自由が認められているが、教特法が国立大学の教員について国公法九八条一項の適用を予定しており(教特法一一条一項、二三条二項)、部局長たる教養部長は、他の教員に対し、研究及び教育に関して上司たる地位に立つことはないものの、研究及び教育に付随して生ずる職務(前記1(七)(2)参照)に関しては、教養部の最高意思決定機関である教授会たる教官会議の決定等の執行機関として、また、部局の事務を掌理する立場からしても、上司としての地位に立つものと解するのが相当である。したがつて、教養部長は、教養部の他の教員に対し一定の限度で職務上の命令を発し得るものと解されるのであつて、原告の右主張は、採用することができない。

(三)  原告の前記1(三)の各行為のうち、(ア)及び(イ)の行為は、いずれも各教官会議における議長である教養部長が会議の構成員である各教員に対し学生らを排除するよう命じた職務上の命令に違反するものであり(教官会議の議長である教養部長は、会議の円滑な進行を図るべき立場上、当然に会議の構成員である教員に対して協力を求め得る地位にあり、その限りで国公法上の上司として職務上の命令を発し得ると解すべきである。)、また、(ウ)の行為は、同じく教養部長が教官会議の構成員としての原告に対し、所定の席に着席するか、さもなければ退席するよう命じた職務上の命令に違反するものである。したがつて、右各行為は、いずれも国公法九八条一項所定の命令に違反するものであるとともに、それ自体同法九九条所定の信用失墜行為に当たることが明らかであるから、同法八二条一号にも当たるというべきである。また、右各行為は、いずれも、当該日時に行われ又は行われる予定であつた教官会議にその構成員として出席すべき職務上の義務があつたのに、右職務に従事しなかつたことの現われでもあるから、同法一〇一条所定の職務に専念する義務に違反するので、同法八二条二号にも当たるというべきである。

(四)  原告の前記1(四)の行為は、国公法九九条所定の信用失墜行為に当たることが明らかであるから、同法八二条一号にも当たるというべきである。

なお、被告は、右行為が同法九八条一項にも違反する、と主張するが、前記1(四)(エ)の被告と教養部長の連名による立入禁止の措置は、建物管理権者としての地位に基づいて不特定の者に対して発せられたものであり、また、前記1(四)(オ)及び(カ)の同じく連名による退去命令も、建物管理権者としての地位に基づいて不法侵入者である原告に対して発せられたものであるとみるべきであるから、いずれも被告らが原告の職務に関して発した命令とみることは困難であつて、右の点に関する限り、被告の主張は採用することができない。

(五)  次に、原告の前記1(五)、(六)及び(八)の行為は、いずれも国公法九九条所定の信用失墜行為に当たり、したがつて、同法八二条一号にも当たるというべきである。

(六)  さらに、原告の前記1(七)の行為は、教官会議の決定に基づいて教養部長が教員である原告に対し試験監督に従事するよう命じた職務上の命令に違反するものであり、(教養部長が教養部の教員に対して国公法上の上司として職務上の命令を発し得ることにつき、前記2(三)参照)、また、原告は、昭和四五年度後期から昭和四七年度前期までの各期末試験の監督を命ぜられてこれに従事しなかつたうえで、なお前記行為に及んだものであることから、右行為は、同法九九条所定の信用失墜行為に当たり、したがつて、同法八二条一号にも当たるというべきである。と同時に、原告は、前記日時に従事すべき試験監督の職務に従事しなかつたのであるから、右行為は、同法一〇一条所定の職務専念義務に違反するので、同法八二条二号にも当たるというべきである。

(七)  原告が授業等拒否の行為により昭和四五年四月二二日に停職五月の懲戒処分を受けたことは、原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

被告は、原告の本件の各非違行為の情状が甚だ悪質であることを裏付ける事由として右事実を援用するものであるところ、原告は、右処分については行政不服申立て手続で審理中であるから、その適否は不明であつて、本件の情状を判断する際に考慮することは許されない、と主張する。しかし、たとえ前の懲戒処分について不服申立てが提起されていて、その適否が不明であるとしても、それが行われたという事実自体が覆ることはないから、行政庁が後の懲戒処分を決定するに当たり、その情状として前の懲戒処分があつたことを考慮することは、当然許されるものといわねばならない。また、行政処分にはいわゆる公定力があるから、それが行政事件訴訟又は行政不服申立ての手続において取り消されるまでは一応有効なものとして扱われ、行政庁は、それが有効であることを前提としてその後の行政手続を進めることができるものと解されるのであるから、被告としては、原告に対する昭和五四年の前期の懲戒処分が有効なものとして、本件処分の手続を進めることは何ら差し支えないというべきである。したがつて、原告の主張は失当といわざるを得ない。

3  以上のとおりであるから、本件処分には正当な理由があり、実体的違法性は存しないものというべきである。

三  本件処分の手続上の瑕疵の存否について判断する。

1  審査説明書を交付しなかつた違法(請求原因3(一))について

(一)  証人田代嘉宏の証言(第一回)及びいずれもこれにより真正に成立したものと認められる乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、右田代証言によりいずれも原本の存在及びそれが真正に成立したものと認められる乙第五号証、第六号証の一、二、証人林直樹の証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告の主張2(一)(3)及び(4)の事実を認めることができ、これに反する証人城崎哲の証言は信用することができない。

一般に、行政処分の通告については、相手方に処分書等を直接手交することまで必要ではなく、処分書等が相手方の了知し得べき状態に置かれれば足りると解されるところ、審査説明書の交付についても右と同様に解するのが相当である。これを本件についてみると、審査説明書が直接原告に手交されたことはないものの、昭和四八年四月一二日に教養部長が原告宅の玄関の下駄箱の上に審査説明書等在中の封筒を置いて帰つたことにより、審査説明書が原告の了知し得べき状態に置かれたとみるべきであるから、原告がこれを閲覧したか否かを問わず、右時点において審査説明書の交付があつたものとみるのが相当である。

なお、原告は、右原告方に当時現実には住んでおらず、スナツク「じやんきい」に住んでいた、と主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(二)  次に、原告は、被告が同月一七日に再度原告に審査説明書の写しを交付しようとしたことは、同月一二日に右書面の交付がなかつたことの証左である、と主張する。しかし、前記事実に照らせば、被告が同月一七日に右行為に出たのは、懲戒処分としての本件処分の重大性に鑑み、原告の利益が徒らに害されることのないよう慮つたがためであると推認し得るのであつて、右行為によつて同月一二日の審査説明書の交付の効力がいささかも消長を来すことはないとみるべきである。したがつて、原告の右主張は採用することができない。

(三)  さらに、原告は、教特法は、大学管理機関が「審査を行うに当つては」審査説明書を交付しなければならないと規定しているところ、右にいう「審査を行うに当つて」とは、被審査者にまず審査説明書を交付し、陳述の機会を与えてから審査を行わなければならない趣旨であるところ、本件ではそのような手続が履践されていない、と主張する。しかし、教特法九条二項、五条二項が審査を行うに当たり審査説明書の交付を要するとした趣旨は、審査の過程で被審査者に審査についての防御と陳述の機会を保障するためであると解されるから、審査説明書の交付が必ずしも審査の冒頭に行われなければならないものと解する必要はなく、審査の過程で行われておれば、そのいかなる段階において行われるかは、審査を行う大学管理機関の裁量に委ねられているものと解するのが相当である。そして、前記田代証言(第一回をいう。以下同じ。)及び弁論の全趣旨によれば、本件においては右交付が評議会の審査の過程において行われたと認められるから、右条項の要件をみたしていることは明らかである。よつて、原告の右主張も採用することができない。

2  陳述の機会を与えなかつた違法(請求原因3(二))について

(一)  昭和四八年四月二七日に被告の主張2(一)(6)記載の手紙が評議会宛てに、同年五月二日に同2(一)(7)記載の小包が教養部事務長宛てにそれぞれ郵送されてきたことは、当事者間に争いがない。

(二)  前記田代証言及びいずれもこれにより真正に成立したもの(乙第八号証の一については、原本の存在とも)と認められる乙第八号証の一、二並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証人瓜生頼正の証言は、信用することができない。

(1) 審査説明書が原告に交付されてから一四日後の同年四月二六日(教特法九条二項、五条二項による陳述請求の期限)までに、原告から陳述の請求はなかつた。

(2) これに先立ち、同月二三日に開催された審査評議会において、右期限までに原告から陳述の請求がされなかつた場合を慮り、審査の慎重を期するため、右の場合にはさらに同年五月一日まで期限を延長すること、及び陳述の請求を被告の主張2(一)(5)の(ア)ないし(ウ)記載のとおり行うよう原告に通知することが決定された。

(3) 同年四月二七日に開催された学部長会議において、前記(一)の評議会宛ての手紙の取り扱いを協議した結果、これを陳述の請求と認めないこととし、前記評議会の決定に基づき、その決定事項についての通知文書及び請求用紙を原告に手交することを決定した。

(4) 田代部長は、被告の指示に基づき、同月二八日午後一時ごろ田中事務長外二名を伴つて岡山市津島新野所在の「東麻雀店」に赴き、遊戯中の原告に対し「岡山大学評議会の決定事項を通知します。」と告げたうえ、前記文書等在中の封筒を開封のまま原告の面前の麻雀碑の上に置いて立ち去つた。

(5) 同年五月一日の延長された陳述請求の期限までに、原告から前記(2)で定められた様式による陳述の請求はなかつた。

(三)  以上の事実を前提に、前記(一)の手紙及び小包が陳述の請求をしたものといえるか否かを検討する。

まず、同年四月二七日に評議会宛てに郵送されてきた手紙をみるに、これが前記(二)(2)で定められた請求の様式に従つたものでないことは明らかであるが、いずれも成立に争いのない乙第七号証の一、二によれば、確かに右手紙には原告の署名押印があるものの、その内容は、まず、同年四月二一日付けの評議会への問い合せに対する返答を求めるというものであり、その後に、なお書の形で「当方、教育公務員特例法第九条に保障されている<陳述の権利>を放棄する意志は毛頭ないことを明らかにしておきます。」という文言が付記されているにとどまるのであつて、それ自体陳述請求の意思を明確に表示したものでないことが認められる。また、右手紙の<坂本>教官を>処分<する会<会長片山恵子>構成員坂本守信という発信名義が意味不明のものであることは、前記二1(一)の「坂本教官」の<教務>係と同様であり、被審査者である原告が自己を表示する名称として右のような名称を用いること自体、甚だ無責任な態度というほかない。ちなみに、いずれも成立に争いのない甲第一、第二号証の各一、二によれば、原告は、昭和四五年の懲戒処分の際には所定の請求用紙を用いて極めて明確な形で陳述請求を行つていることが認められるのであつて、これらの事実を総合すると、前記の手紙を陳述請求の意思を表示したものとは到底みることができない。

次に、同年五月二日に教養部事務長宛てに郵送されてきた小包についてみるに、前記(二)の事実に照らせば、右小包が前記(二)(4)で原告に伝達された評議会の決定事項を了知したうえで郵送されたものと推認し得るところ、それが所定の期限を徒過し、かつ、所定の請求の様式に従つてないことは明らかであるから、それをもつて陳述請求の意思表示があつたものとみることもできない。

(四)  以上のとおり、原告から陳述の請求があつたとは認められないのであるから、原告が請求したにもかかわらず陳述の機会を与えなかつたという原告の主張は、前提を欠き失当というべきである。

3  処分説明書を交付しなかつた違法(請求原因3(三))について

前記田代証言及びいずれもこれにより真正に成立したもの(乙第一二号証については、原本の存在とも)と認められる乙第一一、第一二号証、いずれも昭和四八年五月八日に教養部一〇三教室における懲戒処分書及び処分説明書の交付状況を撮影した写真であることについて当事者間に争いのない乙第一三号証の一ないし三並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告の主張2(一)(9)の事実を認めることができ、これに反する証人小松芳文及び同鈴木そのの証言は、いずれも信用することができない。

右事実に照らせば、原告に対する処分説明書の交付はあつたものと認めることができるから、その交付がなかつたとする原告の主張は、採用することができない。

4  教養部教授会において陳述の機会を与えられなかつた違法(請求原因3(四))について

(一)  原告は、教養部教授会において陳述の機会を与えるのが憲法上の要請であるところ、本件処分においてはそれが行われていないから、手続に重大な瑕疵がある。と主張する。

按ずるに、憲法二三条は大学の自治を保障する趣旨であると解されるけれども、右規定によつて国立大学の教員の懲戒の手続等といつた事項が一義的に決定されるものではなく、右懲戒手続の内容及びそれを具体的にどの機関に担当させるかといつた事柄は、大学の自治を損わない範囲で、立法府の裁量に委ねられているものと解される。そして、教特法は、大学の自治を尊重する趣旨で、同法九条二項、五条二項、二五条に国立大学の教員の懲戒に関する規定を置いているのであるが、右各規定は、もとより右立法府の裁量の範囲内で定められたものであり、憲法二三条の趣旨に反しないものであると解される。してみると、右教特法の規定とは別個に、教養部という部局の教授会において陳述の機会を与えるべきであるとする所論は、ひつきよう立法論に属するものであつて、主張自体失当というべきである。

(二)  また、原告は、その主張につき、一九六六年一〇月五日パリにおける特別政府間会議で採択された「教員の地位に関する勧告」を援用する。しかし、右勧告は、そもそも法的拘束力を有する条約ではなく、各国の努力して到達すべき目標を示した勧告に過ぎないものであり、かつ、その適用範囲についても、中等教育段階の修了までの公私の学校の教員を対象とする(二条)ものであるから、大学の教員はその対象外であるというほかない。よつて、原告の右主張も主張自体失当であるといわざるを得ない。

5  評議会による審査の違法(請求原因3(五))について

原告は、評議会における本件処分の審査が極めて杜撰なものであり、審査としての要件をみたしていない、と主張し、請求原因3(五)(1)ないし(5)の事実を例示する。

按ずるに、教特法九条一項、二五条一項三号が国立大学の教員の懲戒処分を評議会の審査の結果によるべきものと定めている趣旨は、事柄の性質が学問の自由と密接な関連を有する教員の地位に関わる問題であるだけに、その地位が学外からはもとより学内においても不当に侵害されることのないよう、大学の自治を確保する一方、単に学部等の特定の部局限りの判断のみによつて左右されることを避けるという見地から、大学内の最高の意思決定機関である評議会(国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則二条、六条参照)の議を経るべきものとしたと解するのが相当である。そして、合議制の機関である評議会において審査が行われたというためには、もとより評議会において会議が開催されて審議が行われることが必要であるが、右の趣旨からすると、評議会において会議が開かれて審議が行われたとの外形的事実が存する限り、さらにどのような内容の審議が行われたかは、評議会の自律的運営にわたる事柄であるから、大学の自治の建前に照らしても評議会の自律性が尊重されるべきであり、学外者において穿さくすることは相当でないというべきである。

これを本件についてみるに、前記田代証言(第一、二回)及び弁論の全趣旨によれば、評議会において本件についての会議を開催して審議したという外形的事実は優に認めることができるから、評議会の審査は行われたものと認めるのが相当である。そして、原告が摘示する前記の各事実は、原告の主張によつても到底評議会における審査が行われなかつたことを推認させるものではなく、他にこれを推認させるに足りるものも存しないから、いずれも主張自体失当というべきである。

よつて、原告の右主張も採用することができない。

6  以上のとおりであるから、本件処分には何ら原告の主張するような手続上の瑕疵は存せず、本件処分は手続的にも適法というべきである。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白石嘉孝 安藤宗之 朝山芳史)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例